#116 古田 敦也(2004)
球界再編問題と闘った男
1. 基本情報
古田 敦也(ふるた あつや)
生年月日:1965年8月6日
打席:右投右打
ポジション:キャッチャー
2. 経歴
・川西明峰高校
・ヤクルト(1990〜2007)
3. シーズン概要
39歳となった2004年シーズンも開幕から打撃の調子が良く、タイトル争いに加わっていた。しかし、6月に持ち上がったオリックスと近鉄の合併報道によって、徐々にフィールド内とフィールド外の二刀流をこなす状態になっていった。日に日に各球団の経営側と選手会・ファンの間で亀裂は深まり、その中で選手会会長として古田は先頭に立って合併阻止を求めて戦った。しかし、経営問題から合併は撤回に至らず。また11球団ではなく12球団の維持のため、2005年シーズンからの新規参入を認めるように要求したが、経営側が難色を示したことによって、9月18日、19日にNPB史上初となるストライキを決断。その後は一転、12球団目のチームとして、Live doorや楽天の新規参入が認められることで以降のストライキは回避(11月に楽天の新規参入が決定)。この球界再編問題に戦っていた古田に対し、敵地でホームランを放った際には、ヤクルトファンだけでなく相手チームファンからも歓声を浴びるほど、古田はプロ野球ファンから評価されていた。選手と選手会会長の二刀流をこなした結果、開幕時と比べると疲労の影響もあってか成績は低下したが、最終的に打率3割をマーク。なお、これがキャリア最後の規定打席に到達したシーズンとなったのであった。
4. 査定
2004年成績 133試合 打率.306 24本塁打 79打点 OPS.868
5. 査定ポイント
(基礎能力)
・肩力:かつて盗塁阻止率6割をマークした男もこの年は阻止率.259でリーグ最下位。その衰え度合いや守備力などとも検討した結果、この数値になりました。デフォはC。
(特殊能力)
・球界の頭脳:チームの投手成績で見ればキャッチャーE相当かもしれませんが。
・チャンスC:得点圏打率.328
・プルヒッター:本塁打21本が引っ張り方向
・対左投手F:対左投手打率.267
・回復E:8月中旬以降、ホームランは2本のみ。試合外での疲労は相当なものでしたでしょう。あとは年齢的な衰えも加味して。
パワナンバー:12800 21413 22461
(追記)
当時中学生であった筆者も、この騒動は鮮明に覚えています。この年の古田、後半戦はほとんどスーツ姿しか見た覚えがなかったと思うくらいでしたが、ヤクルトは2位でフィニッシュ。終盤にヤクルトに抜かれた巨人は、翌年あの暗黒を見ることになるのであった。