阪神の黎明期を支えた『タ軍の明星』
1. 基本情報
岡田 宗芳(おかだ むねよし)
生年月日:1917年3月12日
1942年 死去
2. 経歴
1926年から1929年にかけて広陵中で4度甲子園決勝に進出。決勝では県岐阜商業に敗れた。当時は大学野球が人気があり、職業野球(現在のプロ野球)はまだスタートすらしていなかった。この職業野球は1936年にスタートすることになったが、その中で岡田は大阪タイガース(現在の阪神)に誘われ入団を決意。
大阪タイガースでは打順こそ下位打線であったが、「タ軍の明星」と呼ばれる華麗な守備で活躍していたとされる。「後楽園球場のマウンドからレフトスタンドまで遠投できた」、なんて逸話が残っているほどの強肩の持ち主でもあった。岡田の活躍もあって、大阪タイガースは1937年秋と翌1938年春に連続優勝している。
しかし、太平洋戦争の影響で召集令状が届き、1942年にニューギニア戦線で死去した(詳細は不明)。
3. 査定
4. 査定ポイント
戦前の選手なので、さすがにデータは少ないですね。
・エラー:1937年春に28個の記録が残っています。昔の時代ということで、グラウンドコンディションや道具の点からも守りにくかったと考えられますね。この時代は「積極的に守りに行けばいくほど、エラーも増えた」とも言われています。
・粘り打ち:1937年春は出塁率が.327。四球も31個選んでいる。下位打線から上位打線に繋ぐ役割を果たしていたとのことで、粘ってつなぐ、あるいは出塁する考えでつけました。
(追記)
今回はリクエストがあり、プロ野球(職業野球)の黎明期の選手作成に挑戦してみました。正直言って、なかなか難しいですね(笑)。ただ色々調べていく中で、沢村栄治、スタルヒン、景浦将などの名選手がいた時代のプロ野球への自分の理解も少し進んだと思います。
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